この建物は、江戸時代初期の小平開拓当初の農民住居を復元したものです。
小平の開発にあたって、開発名主であった小川家に残る小川家文書(東京都指定有形文化財)によると、「間口を広く、奥行きを狭く建て、建方は丸太の柱を掘立にし、藁または茅麦藁(かやむぎわら)等で屋根を葺き、細竹を編んだ床、あるいは籾殻(もみがら)、藁屑(わらくず)等を敷きその上に莚(むしろ)を敷く。木材は、桁・梁は松、柱は栗材を使用。外壁は茅、麦藁で囲ったもの」と記されています。
この住居は二人用の住宅で、間口三間半、奥行二間の上屋の外側に、三尺の下屋(げや)がつくものです。古文書に従い古い工法や、かつて使われていたものと同じ材料(材種)を使用して復元したもので、当時の生活がうかがえる建物です。